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2011年11月21日

サークル入会

1997年:pinokio(記事作成は2003. 3.17)
E君に誘われチーム入会。

 一回生のクラスで同級生だったE君が私がサバゲを始めた切っ掛けだった。E君は高校時代からサバゲに親しみ立命館でもランブルフィッシュに入会し、そして私をこのチーム誘った人間だ。彼は普段から上はM-65かフライトジャケット、下は黒か英軍のDPMというファッションで学内を俳諧していた非常に人目をひく人物である。私は高校時代からPANZERを購読していてミリタリーの世界には大変興味をもっていたのだが、周囲でサバゲをやる環境がなかったこともあり立命館に入学するまでは電動ガンに触れたことすらない青二才だった。E君ともし偶然にも同じクラスになっていなかったら私はサバゲを始める事もなく、ゲームヲタにでも成り下がっていたかもしれない。
 一回生の時に入会した当時の主要メンバーはSGTyama(現LTyama)さんとCV35、K 口(後の会長)、E君と私だった。少ししてH井君入会。あまり覚えていないが、SGT_Kさんと会ったのは入会後しばらくたってからだったと思う。Pte.さんと会うようになったのは私が卒業してからのことだ。当時のメンバーの多くは今でも交流があり、よいサークルに入ったものだと今でも思う。YAMAさんは当時からM16教の狂信的な信者で、私が何の銃を買うのがいいかと質問しても「俺は16としか言えないな。」という返事しか帰ってこなかったのが印象的だった。Pteさんは学校にM1ボディーアーマーを着て登校していた伝説の先輩として語られていた。


初期装備

 初めて買った装備と言える物は笠利商店製のレプリカ陸自新迷彩M-65だ。翌年に独軍フレックパーカーを購入するまではこれがわたしの普段着だった。卒業するまで夏以外はほぼ毎日、陸自M-65かフレックパーカーを着ていたので私もE君に負けないくらい人目に付く格好をしていたといえる。友人いわく、明学館の大教室の一番前に私が座ってるのが最後尾の席からでも直ぐ解ったそうだ。その後戦闘服もM-65にあわせて笠利商店製の陸自新迷彩を選ぶことになる。なぜ陸自新迷彩にこだわってたのだろうか?一つは当時、浅いミリタリーマニアらしく自衛隊に非常に興味があったこともあるが新迷彩がドットパターンであったことも大きいと思う。どうも私は生来、ウッドパターンよりもドットパターンに魅かれるらしく、第一回ランブルフィッシュ正式戦闘服選定会議のさいも米軍のチョコチップ迷彩や独軍フレックパターンを提案していた。初めての銃はSIG551であり、社会人になってからステアーを購入するまで長く付き合うことになる。米軍のサスペンダーベルトをチームメイトのCV35より1000円で購入したことで私の学生時代を通じての装備が完成したことになる。もともとアルバイトもあまりやっていなかった私はあまり装備に金をかけることもなく新迷彩にYサスとSIG551というスタイルが3年以上続くことになるが、ゲーマーとしてはかなり装備に変化の少ない部類に入るだろう。


ゲームを始めて

 私は箕面でサバゲを始められた幸運に感謝したい。別項でYAMAさんが書いているが、大変素晴らしいフィールドであった。箕面フィールドの参加者は装備屋のインファントリーレジメントの常連客・店員やチーム福来らーずさんたちであったが、かれらの模範的なゲームスタイルは自分にその後のサバゲ人生にとっての重要な方向付けをあたえたと思う。もし多連装マグにハイパワーチューンでBB弾垂れ流しゲームしかしていなかったら直ぐにサバゲに飽きて辞めていただろう。執拗な迂回攻撃や雨嵐を気にも留めない積極姿勢、そしてよいゲームマナーをもった彼らとゲームをすることができたからこそサバゲの楽しさを知ることが出来たといえる。


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Posted by Rumblefish OB会 at 00:27│Comments(0)サークルよもやま話
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