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2011年11月21日

サークル入会の経緯とPte.さんとの出会い

1994年:LTyama(記事作成は2003.2.11)
1 ゲーマーとしての出発点

 はじめに、私ことLTyamaがサバイバルゲームを始めたことについて語ろうと思う。

 私がサバゲを始めたのは高校1年生の1月ごろだった。

 当時の私のクラスにいたゲーマー数名がなぜか私の席の周りに座っており(この時の座席配置は名字の50音順)、その彼らの誘いにより当時出回っていたマルゼン製ブラックステアーの中古をそのゲーマーの一人から¥2500で買ったことが私の10年を越えるゲーマー人生の始まりとなった。

 マルゼン製のブラックステアーというのは外部ソース利用のフル・セミ切り替え式のガスガンなのだが、私の譲ってもらったものはフル・セミは利くもののステアーの特徴であるスコープとフォアグリップがぶった切られた非常に胡散臭いものであった。

 前の持ち主曰く「ブラックステアーのスコープのレンズはプラスチック製のダミーだし役に立たないから切った。」

 とはいえ、なんで使い道のあるフォアグリップまで切ったのかはいまだに謎である。

 私はそんな怪しげなステアーを最初の愛銃とし、それにフロンガスブースター(*1)を取り付け、それに私服で今へと繋がる修羅の道への第一歩を踏み出したのである。

 そこから私は外部ソースのグリーンガス(*2)への変更、サイドアームとしてMGC製P7M13の購入、新メインアームとしてファルコントーイ製ガリルSAR中古(*3)の購入と徐々に銃を増やしていった。

 銃が更新されていくとともに装備品についても徐々に更新され、最初はただの普段着であったのだがしばらくして当時¥3800で売っていたM51パーカーのバッタモン(モッズパーカーという名前で販売されていた)を上着とし、そこからLC-2サスペンダー(黒)、ピストルベルト(黒)、マガジンポーチ(黒)そしてコクサイ製リボルバー用ホルスターと導入がすすみ、高校卒業直前にジャングルファティーグ(OD)上下を買うことで一応ゲーマーとしての体裁は整えられたのである。(*4)

2 サバイバルゲームサークル「RumbleFish」との出会い


 装備が充実した中で高校卒業~大学入学を迎え、当然のことながら次に考えるのはサバイバルゲームチームへの参加ということになるわけであるが、そういった意欲を持った中桜咲く大学構内を歩いていると、とあるわら半紙によるチラシが掲示してあるのを見つけた。

 チラシには昔のドラマ「コンバット」の登場人物が四周に貼り付けられておりその中央に

求むサバイバルゲーマー 連絡先075-XXX-XXXX ○○(←Pte.さんの本名)(一等兵) 」

と書いてあったのである。

 「求むサバイバルゲーマー」はいいにしても「(一等兵)」の文字に当時の私はなにかしら軍隊的な訓練なんかをやるサークルなのではないか?とビビりが入ってしまい結局その時にはサークルの入会をためらってしまい結局は写真部へと入部することにしたのである。

 その後自宅周辺のショップなどでサバゲチームを探してはいたのだが結局見つからず、9月ごろ恐る恐るチラシを手にPte.さんの家に電話をかけたのが現在までサークルに深入りするきっかけとなった。

 初めてPte.さんに会ったときの印象は丸い度入りのサングラスがとにかく「胡散臭い」の一言に尽き、最初は正直大丈夫かな?と思ったのだが、しばらくするとバックパッキングで培われたPte.さんの大陸的おおらかさ(いい加減さ?)に信頼を寄せられるようになりそれ以降SGT Kさんも交え、あちこちのゲームフィールドに出かけるようになっていった。

 Pte.さんとゲームに通い続けるうちにそれ以前に入った写真部のほうには自然に行かなくなるようになり結局そのままなしくずし的に辞めることとなってしまったが、今となってはいい思い出である。

 ちなみに当時のPte.さんのゲーム時の装備は茶系のタイガーストライプ上下に電動XM177E2(ホップ無し)だったと思う。

*1:フロンガスブースターとは現在でも使われているフロンガスを使って安定した圧力を得るために気化室(この場合は空のガス缶)とそれに接続するアタッチメント、そしてパワーソースとなるフロンガスの3点を組み合わせたものをいう。さらに安定した圧力を誇るエアタンクやグリーンガスの登場により徐々に姿を消しつつあったが、機器のコストが一番安かったことから私のような貧乏ゲーマーの利用者は当時多かった。


*2:グリーンガスはビール用などの炭酸ガスカートリッジと同サイズのボンベを専用のレギュレーターを使って3.5気圧の圧力に減圧してパワーソースとするもので、フロン(当時はフロン12)に比べると環境にやさしく、しかも一本で4リッターエアタンクと同程度の弾数が発射可能であったことから一時期は非常に期待されたパワーソースであった。


*3:当時上映されていた押井守監督作品「ケルベロス地獄の番犬」に登場したのを見てマガジン4本付¥6000で購入したのだが、ユニットが6気圧仕様に改造されており当時持っていたフロンガスブースターとグリーンガスのパワーソースでは作動しなかった。しばらくしてからノーマルのガスユニットを入手して作動するようにはなったのだがその時には既に電動ガンホップ付がフィールドの標準装備となっていたため結局お蔵入りとなってしまった。


*4:OD色のジャングルファティーグに黒装備というおかしな組み合わせなのだが、これは当時SWAT装備を目指していた(当時はSWATといえば黒装備でOKであった)ものの実用上はやはり緑系の服が必要という結論に至ったことによる。この組み合わせがやがてヴェトナム装備、SWAT装備となっていきこれ以降続く装備品地獄の発端となる。


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Posted by Rumblefish OB会 at 00:23│Comments(0)サークルよもやま話
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