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2011年11月21日

原谷の思い出

1994年:LTyama(記事作成は2003.3.14)
 サークルが結成された当初メインフィールドとなっていたのが原谷のさらに奥にあったとある場所であった。
 私が初めてそこのフィールドに行ったのがサークルに入会してしばらくのことで、そのとき一緒に行ったメンバーはサークルの創設者であるOさん、Nさん、Pte.さん、SGT_Kさん、そして私の5名であった。
 当初、原谷の場所を説明受けたときは大学の衣笠キャンパスから車で少し上がった所であると聞いていたのだが、実際に行ってみるとそれについては多少控えめな表現であったようで、車で少し上がり、それから徒歩で山道を30分以上上がったところだったのである。そのため、フィールドまで上がりきってから疲れた体を休めるために30分くらい休憩しなければいけなかったのが非常に困ったことを記憶している。

 初めて行った時の私の装備はマルイのM16A1を¥3900のライフルケースに入れ、装備品については普通のボストンバッグに詰めていたので山道を登るときには非常に辛かった。そしてそのときの経験が短い銃の購入とリュックサックの購入の必要性につながり、後に中国軍リュックとMP5Kの組み合わせが一時期のゲームスタイルとなったのである。

 原谷フィールド自体は基本的には左右が谷になったフィールドで奥側に向けて登り道になっていた。フィールド中心には手前から奥にかけて溝がはしっており、上手く使えばどちら側でもそこに隠れて待ち伏せをかけることの出来る部分でもあった。

 小人数のゲームをするには非常によい原谷フィールドであったが、その後に行くことになる箕面フィールドに行くことになってからそのアクセスの不便さから使うことのなくなってしまったフィールドとなってしまった。しかし、サークルにとっては最初にゲームを行ったフィールドであるためその場所を「サークルの聖地」として信じるOBもいたりするのである。(*1)

 毎回原谷を知ってるOBで話をする度にいつかは原谷フィールドを再訪しようと話しつつも実現していないのが実情である。

*1:こう言うことをいっているのは言うまでもなく原谷フィールド経験者であるPte.さん、SGT Kさん、私の3名のみである。これらのメンバーで勝手に「原谷世代」、「非原谷世代」として原谷経験の有無を区分することもあるのだが、これにはそれといって特に意味はない。


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Posted by Rumblefish OB会 at 00:24│Comments(0)サークルよもやま話
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