2011年11月21日
万博公園夜戦の思い出
1996年:LTyama(記事作成は2003.4.8)
1 当時の夜戦事情
当時、昼は箕面フィールドでゲームをやるのが定例となっていたのだが、夜戦については特に場所が決まっていなかった。その当時行ったことがあった場所として大阪南港、豊中の某所、そして万博公園があった。
特に思い出に残ったのが今回取り上げる万博公園で、ここでは色々と面白いことをやった記憶がある。
夜戦の時間スケジュールについては2300ごろフィールドに集合し、日が昇るまでゲームをするというのが基本的なスタイルだった。
2 万博公園フィールドについて
フィールドは万博公園内のどこかで、細部については当時車に乗せられていくままに連れて行かれたので何処なのかはよくわからなかった。しかし、自分で車で行けばはっきりするかもしれない。
フィールドそのものは普通の公園で中央に大きな遊具(タコの形をしてたものだったと思う)が設置されていた。公園自体は2300くらいから閉鎖され、一度入ってしまうと朝になって門が開くまで出られないようになっていた。
閉鎖後については園内を警備員が巡回しており、何度か話をしたことがあったのだが、当時は皆なぜかゲーマーには好意的で、出来ることなら私たちと同じように入り込んで一晩中原付で走り回っていた高校生らをエアガンで何とかしてくれないか?みたいなことをよく冗談で話していたのを覚えている。(当然エアガンで彼らに対して何もしていない)
3 万博フィールドでの特に印象に残ったこと
(1)「仁義なき戦い」ゲーム
これは当時なぜか私の周囲で映画「仁義なき戦い」がブームになり(*1)、それにあやかって変わった方式でゲームをやろう、という誰かからの提案からその場で考案されたゲームである。
このゲームのルールはまず、2チームに分けた後に各チームに組長(リーダー)を一人づつ決める。そして残りは組員となる。ゲームの勝敗は相手の組長をヒットさせたら終わりなのであるが、そのヒットの成立する条件として組長を撃つ際に「命(たま)とっちゃる~!!」と叫びながら当てないとヒットが成立しないのが通常の人間フラッグゲームとは異なる点である。組員については通常のゲームと一緒で体のどの部位でも弾があたればヒットとなる。
ゲームに使える銃の種類はハンドガンのみで、それほど人数が多くなかったことから当初の予測としては早期に終了すると思っていたのだが、実際にゲームを始めてみるとそれは大きな間違いで組長を撃つ時に興奮状態になっている組員がコールをする精神的余裕などあるわけもなく、組長は撃たれまくりつづけるもののゲームが終了しないというひどい状態となってしまった。
しかもヒットされてから待機していた組員がゲームが膠着してきたのに我慢が出来ず、国家権力(警察)の介入という名目でフルオートの銃を持ち出して結局両チームを追い回すという結果となってしまった。
組長役の人には悪いなぁと思う反面、組員でしかも警察までやった自分としては非常に面白い経験であったと思う。
(2)ライト付XM177E2
これはPte.さんが当時所有していたXMに自転車用ライトを取り付け、しかもトリガースイッチ周りに配線したことから引き金を引くと弾の発射と同じにライトが光り続けるというかなり面白い仕様となっていた。(*2)
当時はフルオートトレーサーの使用が流行しており現在ほどシュアファイアが普及していない中で大光量により発光BB弾を使用しなくても弾道が見えるというのはそれなりに強みがあった。また、不意打ちの場合にはライトの照射により相手の動作が一瞬止まることから相手側からも恐れられていたのを覚えている。
*1:流行した理由については定かではないのだが、そのブームのさなか私は「仁義なき戦い」のサントラを購入しゲームに行くときはいつも聞いていたりした。今考えてみてもかなりイカレていたんじゃないかと思う。
*2:はじめてこのXMを見たのは原谷でのゲームの時で、この時は帰り道が真っ暗になった際にPte.さんがライトのスイッチを入れて先導して帰っていたのが非常に印象に残っている。ライト自体は引き金を引かなくてもライト側のスイッチだけでも点灯するようになっていたためこのようなことが出来たわけである。非常に融通の利くその配線方法については私が電気関係に疎いため詳しくはよくわからない。
当時、昼は箕面フィールドでゲームをやるのが定例となっていたのだが、夜戦については特に場所が決まっていなかった。その当時行ったことがあった場所として大阪南港、豊中の某所、そして万博公園があった。
特に思い出に残ったのが今回取り上げる万博公園で、ここでは色々と面白いことをやった記憶がある。
夜戦の時間スケジュールについては2300ごろフィールドに集合し、日が昇るまでゲームをするというのが基本的なスタイルだった。
2 万博公園フィールドについて
フィールドは万博公園内のどこかで、細部については当時車に乗せられていくままに連れて行かれたので何処なのかはよくわからなかった。しかし、自分で車で行けばはっきりするかもしれない。
フィールドそのものは普通の公園で中央に大きな遊具(タコの形をしてたものだったと思う)が設置されていた。公園自体は2300くらいから閉鎖され、一度入ってしまうと朝になって門が開くまで出られないようになっていた。
閉鎖後については園内を警備員が巡回しており、何度か話をしたことがあったのだが、当時は皆なぜかゲーマーには好意的で、出来ることなら私たちと同じように入り込んで一晩中原付で走り回っていた高校生らをエアガンで何とかしてくれないか?みたいなことをよく冗談で話していたのを覚えている。(当然エアガンで彼らに対して何もしていない)
3 万博フィールドでの特に印象に残ったこと
(1)「仁義なき戦い」ゲーム
これは当時なぜか私の周囲で映画「仁義なき戦い」がブームになり(*1)、それにあやかって変わった方式でゲームをやろう、という誰かからの提案からその場で考案されたゲームである。
このゲームのルールはまず、2チームに分けた後に各チームに組長(リーダー)を一人づつ決める。そして残りは組員となる。ゲームの勝敗は相手の組長をヒットさせたら終わりなのであるが、そのヒットの成立する条件として組長を撃つ際に「命(たま)とっちゃる~!!」と叫びながら当てないとヒットが成立しないのが通常の人間フラッグゲームとは異なる点である。組員については通常のゲームと一緒で体のどの部位でも弾があたればヒットとなる。
ゲームに使える銃の種類はハンドガンのみで、それほど人数が多くなかったことから当初の予測としては早期に終了すると思っていたのだが、実際にゲームを始めてみるとそれは大きな間違いで組長を撃つ時に興奮状態になっている組員がコールをする精神的余裕などあるわけもなく、組長は撃たれまくりつづけるもののゲームが終了しないというひどい状態となってしまった。
しかもヒットされてから待機していた組員がゲームが膠着してきたのに我慢が出来ず、国家権力(警察)の介入という名目でフルオートの銃を持ち出して結局両チームを追い回すという結果となってしまった。
組長役の人には悪いなぁと思う反面、組員でしかも警察までやった自分としては非常に面白い経験であったと思う。
(2)ライト付XM177E2
これはPte.さんが当時所有していたXMに自転車用ライトを取り付け、しかもトリガースイッチ周りに配線したことから引き金を引くと弾の発射と同じにライトが光り続けるというかなり面白い仕様となっていた。(*2)
当時はフルオートトレーサーの使用が流行しており現在ほどシュアファイアが普及していない中で大光量により発光BB弾を使用しなくても弾道が見えるというのはそれなりに強みがあった。また、不意打ちの場合にはライトの照射により相手の動作が一瞬止まることから相手側からも恐れられていたのを覚えている。
*1:流行した理由については定かではないのだが、そのブームのさなか私は「仁義なき戦い」のサントラを購入しゲームに行くときはいつも聞いていたりした。今考えてみてもかなりイカレていたんじゃないかと思う。
*2:はじめてこのXMを見たのは原谷でのゲームの時で、この時は帰り道が真っ暗になった際にPte.さんがライトのスイッチを入れて先導して帰っていたのが非常に印象に残っている。ライト自体は引き金を引かなくてもライト側のスイッチだけでも点灯するようになっていたためこのようなことが出来たわけである。非常に融通の利くその配線方法については私が電気関係に疎いため詳しくはよくわからない。
Posted by Rumblefish OB会 at 00:25│Comments(0)
│サークルよもやま話