2011年11月21日
エバーグリーン参加の思い出
1996年:LTyama(記事作成は2003.10.16)
1 エバーグリーン参加の経緯
エバーグリーン(以下EG)は関西では古くから開催されている大規模大会である。
場所は奈良県香芝市にあるゴルフ場造成地跡、主催者でもあるサバゲチーム「エバーグリーン」が年数回チームのホームグラウンドであるこの造成地跡において開催しているものである。
大会では早い時期から発展途上であったバイオBB弾を使用するなど現在各地の大会で主流となっているルールを採用していた。
サークルがEGへ参加したのは大会が開催されて4回目位の時であり、その時は独自参加ではなく箕面フィールドのゲームに参加させてもらっていたチーム「笑う角には福来たら~ず」の一員として参加することになった。独自参加ではなかったものの大会と称されるものに参加するのが初めてだったため、非常に楽しい一日を過ごすことが出来た。
この後数回「福来た」の一員としてEGに参加したのだが、ここでひとつの疑問が発生した。
それは確かにサークルのメンバーで参加はしているもののサークルとして独自には参加していないということである。これでサークルの活動といえるのだろうか?という疑問である。しかし、「福来た」の一員として参加していればアットホームな雰囲気の中で大人数でひとつのチームにいることが出来たのも事実であった。これについては結果として、サークルの独自性を保つという観点から大多数の知らない人間と一緒のグループになることを覚悟した上でサークルとして独自参加を行うこととなった。
2 EG独自参加の問題点および解決策
こうして独自参加を選んだサークルであったのだが、ここで大きな問題が発生した。それは会場までの移動手段を持っていないということであった。これまでは「福来た」の一員として参加していたため移動手段については他のメンバーの方の車に相乗りさせてもらうことで何とかなっていたのだが、独自に活動することからそれが期待できなくなってしまった。
そこで当時のサークルの一般的な移動方法であった公共交通機関の利用を行うべく調査をしたのだが、会場までは最寄り駅から長時間坂を登っていかなければいけない上に京都から行くには時間がかかりすぎるということが判明した。
その為、それを解決するための手段を検討していたところ大学生協内にレンタカーのパンフレットがあり、レンタカーにより現地へ移動するという案が浮上した。ちょうどSGT_KさんとO君(現在は音信普通のOB:98文)が免許を持っていて、料金を折半する分にも問題がないことからワンボックス型のレンタカーを借用して現地へ向かうこととなった。ドライバーについては基本的にO君が行い、SGT_Kさんは予備ドライバーとなった。
現地へ向かうその様子は当時サークルの活動状況を映像に残そうということで始めたビデオカメラ(SGT_Kさんの家の物)により記録されている。それによると運転手はO君、助手席に私(LTyama)、後部席にSGT_KさんとO君の弟(当時大阪府内の専門学校に通っていた)、そして最後尾の荷物置き場にPte.さんがバンダナをアイマスクとして熟睡していた。(*1)
3 ゲームに参加して
こうして無事独自参加への道を切り拓いたのであるが、現地についてからは手馴れたもので特に何の問題もなく大会に参加することが出来た。
ゲーム方式についてはこの頃からアルミホイルの的を撃ち抜くフラッグ撃ち抜き戦となっており、これを3チームで取りあってそのポイント数により勝敗を決する形となっていた。
サークルはこの当時のゲームスタイルとして、敵と接触することなく敵陣地後方に浸透してフラッグを取るというスタイルに固執していた。(*2)その為、EGにおいてもこのスタイルを崩すことなくフラッグ奪取のため、敵後方に浸透することとした。しかし、このフィールドの特性として、廻りこむためには大きくそびえたつ山の両手を使わなければ登れない急斜面を登らなければならなかった。それにも関わらずサークルは迷わず山登りを敢行し、そのうちの一回は敵フラッグに近接することが出来た。残念なことにその時はフラッグの奪取は出来なかったのだが、その教訓を元にその次の大会のときにフラッグを奪取することが出来た。
EGへのサークルの参加は私が卒業してからしばらくは続いていたようだが、フィールドの特性上単調な展開になりがちでありいつの間にか参加しなくなっていたのだが、最近はEGを知らない世代が増えてきたことから再び参加することになったようである。
4 EGにまつわるetc.
何回か参加したEGにおいて思い出深いことが多々あったのでここに記しておく。
(1)マイナートラブルによるフラッグ奪取失敗
これは3項において一部書いてあるのだが、フラッグ奪取を図るため敵後方に侵入し気付かれることなくフラッグ後方10mの位置に接近した。あとはフラッグであるアルミホイルの的を撃ち抜くだけであり、的を外さないように慎重に愛用のM16A1VNver.で狙いを定めた。そして初弾を放とうと引き金を引いたのだが、初弾が発射される前にギアが欠けモーターの空回りする嫌な音が聞こえた。フラッグ横には敵のディフェンスがこちらに背中を向けて警戒していたのだが気付かれていないようであった。そこで仕方なくサイドアームを取り出したのだがこれが命中精度の余り期待できないMGC製のG17であり、この時初めて今までサイドアームを飾りとして軽視してきたことを後悔した。が、それでもなんとかしなければいけないので狙いを定めること数分間一か八かで引き金を引いたのだが、「失敗する可能性のあるものは失敗する」とマーフィーの法則にあるように見事に的をはずれ、それに気付いた敵によりヒットされてしまった。この時なぜ、そのディフェンスを先に排除しようと思わなかったのかはいまだに自分でも分からなかったのだが、この時サイドアームに投資することは必要なことであるという重要な教訓を得ることが出来た。そこで大会終了後、サイドアームとしてデジコンのベレッタ M92FSを購入した。これが次の大会では役に立ちメインアームのトラブル(この時は弾切れ)の際にこのベレッタを使って目標のフラッグを奪取することが出来た。
(2)当選率約68%
これは独自参加を始めてから2回目か3回目の時に関西大学に通っていた知り合いらとサークルメンバー3名(私、CV35、E)が一緒にエントリーしてたときに発生した出来事である。EGでは高額な参加費(当時バイオBB弾2000発込みで¥4500だったと思う)の還元もかねてゲームの最後に大抽選会を行っていた。この時今までろくに懸賞に当たったことのない私にSIG551が当たって、CV35にコッキングの USPが当たった。が、Eは残念なことに何も当たらず3人中2人が当たってなんで自分には当たらないのだろう?と不満な態度がやや見え隠れしていた。私と CV35はそれをなだめるのに一生懸命で、嬉しいやら困ったやらで複雑な心境であった。(ちなみにそのSIG551はナイトハイクに携帯してたりしていたのだが、結局余り使わないことからSIG551ユーザーであったpinokioにあげてしまった。)
(*1):この時Pte.さんは用事のため、集合地点であった私の家に来たのが明け方頃であった。そのため非常に疲れており行きの車の中で全員分の装備品に囲まれて熟睡していたのであった。
(*2):この頃、私はゲームでBB弾を撃つのはフラッグ前で威嚇する時だけだったこともありエアガンはお守り程度にしか考えていなかったことから、挙句の果てには「銃なんか必要ない、フラッグは銃無しでも余裕で取れる」と言い切り、「福来た」の某氏とEの3名で丸腰でゲームを行ったことがあった。結果は言うまでもなく、3人ともフラッグに行き着く前にヒットされてしまった。
Posted by Rumblefish OB会 at 00:26│Comments(0)
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